2007年に中国行ってたときの記憶 (景徳鎮編)

2010年より少し前、当時働いてた会社の子会社を中国に作って、現地にしばらく滞在していたことがある。景徳鎮南昌 という町だ。

その後の人生で、旅先でそれなりの数の中国人と友達になったり話したりしたけれど、それらの町に行ったことある中国人に会ったことがない。観光地でもないし、行っても何か面白いものがあるわけでもない、そんな場所だからだ。得られる反応は決まって「何でそんなとこ行ったの?」

景徳鎮

景徳鎮って日本でたまに中華料理屋さんの名前に使われていたりするので、聞いたことあるって人は結構いるかもしれない。元々は陶磁器の生産で有名な町で、今でも町中に陶磁器のお店しかないんじゃないか?ってくらいそれしかない🥣

なぜ会社が出来たか

市内に大学が1つあるのだが、元々は陶磁器の学科が1つという大学だった。そこに、時流に乗って情報学科が追加された。そこまでは良いのだが、町にはIT企業が1個も無かったのだ😅

そこで溢れてる卒業生を採用しようと、会社が設立された🏢

オフショア開発をするためだ👩🏻‍💻👨🏻‍💻

当時の僕

当時働いていた会社は年中無休の超絶ブラック企業だ。ブラック企業って言葉があったか分からないけど。10時〜2時まで会社で働いてた。2時とはAMです☠️

中国オフィスへ行く

景徳鎮に行ったのは2007年の夏のことだった。それまでに、カンボジアとアメリカに行ったことがあって、3カ国目の海外だった。正直当時全く海外とか旅行とかに興味なくて、料理とか物価とかもあんまり興味がなかった。当然、中国についても興味がなかったのだ。

ただ、一応大学4年生のときにちょっと就活してたのでオフショア開発してる会社の話とかも聞いてて、何となくイメージはあった。当時は大連が有名だった気がする。(深センって当時聞いたことなかったけど、現地法人作るならなぜそこに行かなかったのかと今なら思う)

成田空港から上海まで3時間半、上海で1泊して次の日に国内線で約1時間、景徳鎮へ🛫

空港はプレハブ小屋のようなしょぼい建物だった。町の規模からすると、空港があるだけ感謝すべきかもしれない。上海に行く便すら1日1便だった。

どうやってオフィスに向かったか全く記憶にないが、多分タクシーとかで行ったんだと思う🚕

料理がやばい

田舎すぎるのか文化なのか、食べるものがあんまりない。特に馴染みのある動物性タンパク質がない。牛肉、豚肉、鶏肉、みたいのはほとんどなかった。
当時の日記を見てみると、

見事腐った肉で腹を壊しました。

とあって、じゃあ何を食べてたのかというと

今日はカタツムリとかザリガニとかドジョウとか食べました。
高級なお店にいくと、ヘビやイモムシやゴキブリが
食べられるそうだけど、ゴキブリは嫌だなー

と書いてあった。なお全部不味かった🤮

お腹の壊し方が半端ではなく、普通だとトイレから出られないという程度だと思うのだけど、トイレに行くと鮮血が出てくる。結局一週間ずっと血が止まらなかったけど、中国ではよくあること。って言われたので、そんなもんかと思って気にしなかった🩸

ただ、記憶では料理やばかった記憶しかないけど、初日の日記には美味しかったと書いてある。記憶はあてにならないものである。

働いている人少なすぎる

景徳鎮は陶磁器の町と先ほど書いたが、今どきお皿とかあんまり売れないので、陶器の麻雀牌が割と儲かる商品らしい🀄️

そんなこともあり、麻雀してる人がやたら多い。町を歩けば至るところで麻雀の音が聞こえて、屋外で麻雀してる人も多い。実際あんまり仕事ないらしいのだが、仕事しなくても麻雀して暮らせてるならそれはそれで素晴らしいことなのでは、と思った。

ネットつながらない

当時、グレートファイアウォールあんまり知らなかったので、ネット遅いなくらいの感じだった。ひどい時間は10KB/sくらい。IT企業を作る環境としては最悪だ。

当時は Rails と Flash よく書いてたが、Adobeのリファレンスが見られないという罠だった。

電気落ちる

いきなり停電するし、1日復旧しないとかある。そういうものらしい。IT企業以前に企業を作るのに適していない😅

電動スクーターは歩道を通る

電動スクーターがたくさん走ってた。これは相当意外だった。日本では電動がスクーターなんて見たことがなかったので。

しかし、電動スクーターはバイクではないので車道を走ってはいけないという法律があるようで、歩道を走らなくてはいけない。無法地帯だ。50km/hくらい出るスクーターが歩道走るとか常識的に考えて危なすぎる🛵

道がない

メインストリートは多少舗装されてっるけど、土の道が多い。あと道が建物の入り口まで通じてない事が多い。瓦礫の中を通らないと入れないビルとかがある。GTAでも道くらいあるぞ。

まとめ

時間が経ってから見返すと、割と刺激的な体験のようだが、当時そうは感じてなかったみたい。

これ読んだら、良いことは1つでもあったのか?というようにも見えるけど、どんなにクソなことでも非日常は日常より遥かに良いものなのだ。何事も、良い方向にも悪い方向にも、ブレ幅が大きいことは常に良いことだ📈📉

この滞在中、大学の時に第二外国語として中国語を勉強したにもかかわらず、単位を落とし続けて全く覚えていなかったのを後悔した。自己紹介すら出来ないのである。その後、マンダリンを勉強しようと思ったが…勉強しなかった。この時マンダリンを勉強していたら、その後の人生がだいぶ違ったものになっていたのは間違いない。

帰りに上海で1泊した時、中国なら高級ホテルに泊まれるかも?と調子にのって一番良さそうなホテルに行ってみたが1泊4万〜と言われだめだったという記憶がある。

当時スマートフォンもモバイルインターネットもなくて、どうやってホテル探したり乗り継ぎとかしてたのか、不思議でならない。DiDi もないし、どうやってぼったくられずタクシーを拾っていたのかなど、謎は深まるばかり🤔

これはお試しみたいなもので、次の年には1ヶ月間の滞在をすることになる。続きは後編で。

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