かなり前から一回行ってみたかった国立新美術館へ行ってきた。今、モディリアーニ展がやってたよ。
プリミティブって、原始的なという意味の単語だけど、彼の絵はそういうものだそうです。カリアティッドという、女性の体の形をした柱を彼はたくさん作って神殿を作ることが夢だったらしいけれど、結核で体が弱く彫刻を作るのを断念して、絵画を描くようになったと。絵としてもたくさん残されていたようで、たくさん見ることができます。
絵画は疎いのだけど、人物画を見ると目ばっか見てしまいます。そして、人物画見てるとその時代どんな時代だったんだろうと考えてしまいます。風景も刻々と変わっていくけど、人間のほうがもっと変わっているはず。
モディリアーニが生まれたのが1884年。ちょうど、ぼくが生まれる100年前のことです。自分の仕事を考えると、100年前にはなかった仕事で、その分ほかの仕事に従事していたのでしょう。今じゃない仕事もあったんだろうけど、そんなことがあっても、人間が生きてきた社会がいつでも成り立っていたことが偉大だと思います。実際は、色々な歪みが多すぎて、誰もが自分の生きる場所を社会と認識していただけかもしれないですが。いつの先になっても、秩序立った社会というのはあり得ないのかもしれない。
人はみんな、何に価値観の主眼を置くか違うので、統一した指標で物事を進めることは出来ません。世の中は通貨があるので物がいい具合に流通してるけど、それは一部にしかすぎなくて。通貨なんてものがなくて、物々でもなんでもいいんだけど、何のために生きるのかっていうことを考え始めた人はすごいと思う。今はみんなそんなこと思ってるけど、生きるために生きていた時代があったわけなので。
人が人を好きになること。ただの一生物だから、異性を好きになるのは動物的な何かを感じ取って魅力を感じたりするのだと思うけど、そんな要因だけで回っていないのが人間。動物が個々を色々な指標で見るというのが面白いところなんじゃないかと思います。当たり前のことなんだろうけど。
だから、結婚しない人が増えているみたいなことがよく言われているけど、社会的な通念みたいのが曖昧なものなので、ただ言ってみるか、考えてみるかというだけなんだと思う。
で、結局何かというと、美術館に誰かと一緒に行くとそれ自身に対してしか話をしないけれど、一人で行ってみると色々考えるからいいなーと思いました。個人的には、絵画自体をみるなら、人物より風景などのほうが好きです。
一人で行って思ったけど、世の中には何でも入門出来るサイトみたいのはあったかなー?と。あるものに特化したサイトはコアな人たちが集うもので、話が出来る人たちは話が出来ない人と話したくないと思うのは、自分も思います。入門というと、引き込む側の意図が入っちゃうからどうしても商になっちゃうのかな。残念だな。