今、明日というか本日午後14時40分からのチャイ語のテストに向けて勉強しています。中国語は日本語に似ているようで似ていないのか、もうよくわかりませんが。メモを書く。
数量は数のことだが、質量は重みじゃなくてQualityだそうだ。
靴が小さいんじゃなくて、あなたの足がでかいんだよ。という文章を見て、靴が臭いんじゃなくて、あなたの足が臭いんだよ。という文章が頭の中に展開した。
あのこは思ってたより不細工じゃない。という例文がある。例文としてどうなんだ・・・
婚外性関係についての文章の要約をしていかなきゃいけないからする。
- 1980年、婚姻法に「夫婦はお互いに誠実であるべき」という一文が追加される。
- 私はその一文は法律ではなく道徳規範だと思うので、この修正には反対である。
- 婚外性交渉は結婚相手を傷つけるので法律で取り締まるという考えも理解できるが、反対の理由が3つある。
- まず、法律で婚外性交渉を取り締まるのは可能か?
- 1989年の北京では婚外性交渉経験者は6.4%であったが、世界の統計や世代の移り変わりによってこの数字は上がるだろう。
- 中国のことわざで、「多数の人がすることは罰せられない」とあるように、法律で婚外性交渉を罰するのは困難だ。
- きちんと統計を取って立法し抜け穴を作らずに民衆を従わせなければ、法律の権威を大きく損なうことにつながる。
- 次に、婚外性交渉を処罰する法律は必要か?
- 婚外性交渉を取り締まる法律は本質は姦通法なので、それは中世まで法律を後退させることになる。
- 権力は一点に集中すべきではなく、一般人の頭のなかにあるべきで、婚外性交渉を国家権力で規制し人々の生活空間を縮小すべきではない。
とのことだ。結局、弱肉強食が正当化されない人間の社会において、婚姻関係は一番規定しにくいものだということなのか?結婚という契約を、法律によって規定するというのは、お互いにとってどういう意義があるのだろう?結婚したときから、契約違反について考えた結婚なんていうのは結婚と言えるだろうか?婚外性交渉が離婚によってしか解決されないとするならば、結婚は単なる契約にしかならない。だが、解決の糸口が人によって違うから結婚は単なる契約に終わらない関係となることが出来るのだと思う。