旧ユーゴスラビアの国で感じたこと

旧ユーゴスラビアは1943年から1992年にかけて存在した東ヨーロッパの社会主義国家だ。「旧」とは、解体したためについているわけではなく、その後に出来たユーゴスラビア連邦共和国と区別するための接頭辞のようだ。

セルビア、クロアチア、モンテネグロ、マケドニア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナを旅行するまで名前しか知らなかった。解体の過程で、1991年から2000年頃まで紛争が続き、ユーゴスラビア紛争として知られている。

この紛争は僕が生まれた後の話であり、同年代の人々が当事者だ。3ヶ月くらい滞在していたので、同世代の人と話す機会が結構あったのだが、当事者から直接話を聞くと価値観が大きく変わるものだ。

自分の家族や友達が今日死ぬかもしれないし、もしかしたら自分が死ぬかもしれない。という状況で毎日を過ごしていると、未来などどうでも良くなり、今その瞬間を生きること以外考えても意味がないと思うようになると言っていた。その価値観は今でも変わらないらしい。「老後の心配」など人生において本当に意味のないことだ。と言ってた。

紛争の話をしたのは数人だったが、他に会った多くの人たちも今に集中して生きている人が多いように感じた。尤も、旅行者に会う人間というのはある程度偏りがあるのかもしれないが。

ボスニア紛争

ボスニアがユーゴスラビアからの独立時に、セルビアと紛争が起きた。そのときにジェノサイドがあったと言われている(スレブレニツァの虐殺)。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォに資料館があり、足を運んでみると良いかもしれない。中にカメラなどは持ち込み禁止なので、その資料館についての情報はインターネット上で見ることはできないはずだ。

「歴史は繰り返す」

と書かれている。

アウシュヴィッツ強制収容所、トゥール・スレン虐殺博物館も見学したことがあるが、二度と虐殺の悲劇を起こしてはならないと叫んでも、歴史は繰り返しているのだ。これらの施設は、見学したあとしばらくは他のことは全く考えられなくなるが、見学する価値があるものだと思う。

セルビア

ボスニア紛争の時、ボスニア・ヘルツェゴビナはアメリカのPR会社ルーダー・フィン社に依頼し、セルビアを悪と見なすPR活動を展開したそうだ。世界的にセルビアを悪と認識させる目的で、またそれもあってNATOがセルビアを空爆することに対する世界の認識も、ポジティブな方向に動いたのは間違いない。

セルビアに行く前はこの近辺の歴史を全く知らなかったのだが、セルビア人がやたらと日本人に対して感謝の気持ちを伝えてくれたり、親切にしたりしてくれた。実際のところ、東ヨーロッパ全体として相当良くしてくれた記憶しかないのだが、セルビアの場合は少し別の理由があったのかもしれないと後から思った。

先のようなPR活動の影響を受けず、日本国内ではセルビアを悪と見なすような風潮にはならなかったそうだ。僕は小さかったのでそもそも全然知らないのだが、日本に英語の情報が入って来づらかったなのか、日本のメディアが放送しなかったのか、は分からない。ただ、日本人はセルビアに対してPRされたようなネガティブな印象を持つ人がほとんどいないらしい。

セルビアの首都ベオグラードでは、「このバスは日本からの寄付です」と大きく書かれたバスを何台も見かけた。日本がそのような寄付や援助をしている国はたくさんあるだろうが、あそこまで強調して表記していた国を他に見たことがない。

しかし、僕の記憶の限りでは日本に居た時にセルビアでそのように日本に感謝しているなどの情報を見かけたことがなかった。セルビアに友好的な事を報道するということは、間接的にアメリカに対して敵対的な報道をすることでもあるからなのか?とも思ったが、実際のところは不明だ。

セルビアで観光業をやっている人から聞いた話では、日本人は昔はたくさんセルビアに遊びに来てくれていたのに、最近は全然来なくなってしまった。ということだった。これは日本人が海外旅行にあまり行かなくなっただけかもしれない。

旧ユーゴスラビアを旅行する時の注意点

特に危険なことはないのだが、旧ユーゴスラビア諸国で他国のことをよく言うのは避けたほうが良いようだ。例えば、クロアチアで「セルビアは良かったよ」と発言することに対して嫌悪感を抱く人がいる。未だに、当時紛争に関わった人間(つまり僕からみた親世代だ)は、死ぬまで国境を跨ぐことを許されないそうだ。

相手に嫌悪感を持たれないように発言を選ぶ必要はないのだが、そういうこともあるという認識を持った上で話題を選択するというのは悪いことではないはずだ。

感じたこと

明日があるか分からない状況を自分にあてはめて想像することはとても難しいのだが、将来に対して不必要に不安を覚えるのは全く意味がないと思うようにはなった。日本ではどうしても老後の不安などの話題に触れる事が多いが、そもそも明日もちゃんと生きているかどうかなんて誰にも分からないのだから。この旅行中に、自分自身で認識出来るほどに価値観が変わった。

今は新型コロナウィルスで移動が制限されて、恐らく未来も今までのように自由には移動できなくなるのだろうなと思うが、そのうち行けばいいやと思っていたところには、早く行っておけば良かったと思っている。価値観は変わったかもしれないが、覚悟がなかったということかもしれない。

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