2008年に中国行ってたときの記憶 (南昌編)

2010年より少し前、当時働いてた会社の子会社を中国に作って、現地にしばらく滞在していたことがある。景徳鎮南昌 という町だ。

景徳鎮編 は下記記事で、この記事は 南昌編 だ。なんで中国に会社が出来たかとかは下記記事に書いてある。

2007年に中国行ってたときの記憶 (景徳鎮編)
2007年頃、景徳鎮という中国の片田舎に会社を作って少しの間滞在していた時の話です。

南昌

景徳鎮市の1年後、隣の都市の南昌へオフィスを移転した。景徳鎮はあまりに田舎すぎてITするには向いてなかったからだ。電気が止まる、ネットが遅い、田舎すぎて人がいない、という問題があった。

南昌はあんまり栄えてない地方都市という感じ。ここもあまり何も無いが、「都市」と呼べるくらいは栄えている。市街地へ行けば、の話だが。

そんな都市の郊外にオフィスを移転した。ITインキュベーションセンターみたいなところがあったからだ。ここならネットも電気も大丈夫だろう…。そんな甘い考えが通用する国ではなかったのだ😑

新しいオフィス

前回のオフィスがマンションの一室で、定員20人くらいなという感じだったけれど、今回はオフィスビルで定員200人くらいかなという感じ。やたら巨大な部屋だ。

僕はそこから徒歩5分くらいのホテルに泊まった。そのエリアで唯一のホテルで、1年に1回カンファレンスの時以外は殆ど人が泊まりに来ないらしい。政府系のホテルだったようだ。

1ヶ月くらい滞在していたけれど、その間に他の宿泊客はおらず、スタッフも常に同じおばちゃん1人だった😶

電気止まる問題

新しいオフィスはIT用なのでインフラ面は期待してた。しかし、蓋を開けてみると前とあまり変わらない。むしろ会社がたくさん入っている分、停電の頻度が高いのだ。

日中の気温が40℃近いので、冷房は必須だ。恐らく他の会社もそうであろう。ピーク時の消費電力に合わせて電気供給の設計がされていないのは明らかで、大体お昼過ぎくらいに電気が落ちる。よければ10分くらいで復旧するが、ひどいと2,3時間くらい復旧しない。ITインキュベーションセンターとは?🤔

暑すぎ問題

日中の気温は40℃近い上に、停電によってしょっちゅうエアコンが止まるため、非常に暑い。

日中は、内陸部特有の、爽やかではない熱気に包まれている。エアコンが貧弱なのと停電する影響で、涼しい環境で仕事出来るということが少なかった🥵

昼休みが長い

それが一般的ということで昼休みは2時間確保してあったのだが、中国人スタッフはほぼ全員ご飯食べたら昼寝するのだ。

当時は昼寝の効用を知らなかったので僕は寝ずに作業していたが、みんなと昼寝してれば良かった。

これは良い習慣だなと思った。そういう習慣がある中国人は多いのかもしれない。

IT企業は実際はゲーム代理店ばかり

どうせなら、近隣の企業と一緒に仕事したら良いのではと思ってウロウロと見て回ったけれど、僕らの会社以外は全てゲームの販売代理店だった。

システムやゲームなどを開発している会社は他にいなかったのだ。このことは、後から問題となるのであった…。

ビジネス

相変わらず、日本の仕事を中国で開発するというスタンスでやってた。会社がオープンして1年経っていてスタッフのスキルも上がっているし、僕自身のスキルも上がっていたので、それなりに仕事は回ってた。

Like this 問題

僕が中国語喋れないのと、英語も僕含めみんなクソなので、指示を出したり質問をしたり、などでコミュニケーション不可能な場面が多々あった。

絵とかサンプルコードとか書いて "Like this!" というのがよくあるコミュニケーション手段だった。

クソなようだが、なんとか頑張って伝えるという意味では良いコミュニケーションだったのかもしれない🧐

通訳を雇う

とはいえ流石に非効率的なので、通訳を雇ってみることにした。

「日本語中国語の通訳募集」

1日で200人くらい応募があった🤯 仕事自体が潤沢にあるような都市ではないのと平均より良い給料だったからかもしれない。

ここまでの人数が来るとベストなんて選べないので、書類(よく分からない)を見て5人くらい来てもらって一気に面接して採用した。

当時は応募者の日本語スキルに驚いた。日本語勉強して2年、1年間は日本で仕事していました。とかの人が、流暢な日本語を話すのである。

僕は第二外国語で中国語を2年間勉強しても自己紹介すら出来るようにならなかったし、英語なんて中学生から大学生まで勉強したのに全く使い物にならなかったからだ。

将来知ることになるが、日本語の発音は割と簡単のようだ。というか変な発音でも日本人からすると大体理解できる。英語とかだとそううはいかないのだ。

通訳さん技術用語わからない問題

通訳として入社してくれた人は、最近まで日本で働いていたそうで、日本語能力は申し分なかった。ただ、ITとかは全くわからない。ここを見落としていた。

日常会話は完璧なのだが、仕様の説明とかすると、まずシステム開発の概念も分からなければ、用語も分からないので、話を伝えられないことに気づいた。

ラジオボタンが「ラジオアイコンのボタン」になったりしてた。

これは見落としポイントだったけれど、採用ってこういうことなんだなという勉強になった✍🏻

エンジニア転職問題

同じビルに入っていたのは全てゲームの販売代理店というのを先ほど書いた。つまり、そのビルにはエンジニアがいなかったということなのだが、街全体で見れば当然そういう会社もある。

プログラミングとかサーバとかプロジェクトの進め方とか、色々なことを教えると、その時点でその町では最強クラスのエンジニアになってしまうのだ🤯 このため、やたらと高給で転職してしまう。とは言え日本だったら並のエンジニアくらいなので、もし同じ給料を払うなら言語障壁のある中国人よりも日本人を雇ったほうが良いということになってしまったのだ。

当時は視野が狭すぎて、これじゃあ頑張ってオフショアしてるメリットがなさそうだな、とだけ思っていた。

だが、単純に現地でローカルビジネスやればそれだけで利益になったということだし、企業がそれだけITに投資しているということでもあったわけだから、もったいないことをしたなという気はする。

当時、中国ではモテる職業が医者、弁護士、ITエンジニア、と言われていたが、日本では全くITエンジニアがそういうランキングに入ることはありえなかったのでネタかと思ってたけど、全くネタではなかったということだ🙄

そして現状、世界を見ればご覧のありさまだよ。ということなのだ。

日常生活

トイレのドアが無い問題

「大」はドア付きの個室でしたいと思うけれど、割とトイレのドアが壊れててフルオープンになっているところが多い。自分でもしたくないし、している人を見たくもない。

気にする人の割合がそこまで高くないので直さない、ということのようだ。合理的である💩

銭湯にお湯はらない問題

お金を払って銭湯に行くのだが、湯船にお湯が張っていない。お湯に入りたいのだが?と伝えると、コストがかかるからお湯は張らない。シャワーを使え。と言われる。

更に照明もほとんど消えてて、入り口のシャワー部分だけついている感じ。さすがだ👏🏻

料理辛すぎる問題

僕は辛いものは割と好きでイケる方だと思っている。蒙古タンメン中本本店の最寄りの高校に通い、北極ラーメンで精神力を鍛えて大学入試を現役で突破した実績がある。

だが、南昌の料理はとにかく辛かった。辛くしないでください、お願いします。てお店の人に言っても、これがこの町の食い物だ!みたいな感じで、辛くないものが全然見つからない🥵

辛いのでいうと四川料理が有名だが、四川料理は山椒と唐辛子で美味しいが、南昌の料理は唐辛子のみという感じで全く美味しくない。美味しくないのは味付けだけの問題ではなく、高温な気候のために鮮度の良い食材がないからなのでは、とも思った。田舎で食材の流通が良くないというのもあるかもしれない。

つまり、辛くしないと臭かったりクセがあったりで逆に食べづらい、ということだ🤢

気になるのは現地人だ。こんな辛い料理よく食べられるね?と尋ねると、いや実は結構辛いのが苦手な人は多い、という。ひどい話だ。10年以経って、昨今の中国の経済成長を見ると、今なら全く違う状況になっているかもしれない。

じゃあ、現地料理を食べなければいいじゃん。と思うかもしれないが、現地料理以外のレストランなどないのだ。日本の感覚なら、和食、イタリアン、中華、.etc など選択肢があるが、中華しかもローカル中華しかないのだ。四川料理や広東料理すらないのである。

牛乳と病院問題

ある日、通訳の人が牛乳をくれた。私飲まないから、って。

そういえば牛乳なんてしばらく飲んでなかったなと思って飲んでみた。味は普通だったのだが、3時間後くらいに目眩と腹痛が押し寄せ、ホテルの部屋で倒れ込んでしまった🤢

朝まで動けず、結局丸2日寝込んでしまった。

スタッフが心配してホテルまで来てくれた。それはそれはとてもありがいことであった。しかし、

「病院へ行こう」

と言われた。実際、ホテルの目の前が病院なのだが、これは本当に営業してるんだろうか?という古く汚い建物だったので、そこには行きたくないなと思った。「病院行ったら何をするの?」と聞くと

「注射を打つよ。中国じゃ風邪でもなんでもとりあえず注射が当たり前だよ」

みたいなことを言われた。この病院での注射は怖すぎて無理だ。立ち上がることすら無理な状況だったが、元気なフリをして「もう大丈夫!明日はオフィス行けるよ!ありがとうね!」といって事なきを得た。

お腹は毎日壊していたけれど、あの日の壊し方は人生で類を見ないレベルであった…🤒

旅行

この滞在自体が旅行のようではあるが、ビザ手続きと週末観光で少し旅行をした。

九江

これは仕事のための移動ではあったが、旅行でもあった。正直かなりビビっていた。

自分の語学力が皆無なのと、ほとんどの人が簡単な英単語すら分からないので、何かあるとかなり困る。

しかも、現地で会う人の顔もわからないのだ😨

スマートフォンがないだけでも想像出来ないが、当時中国の携帯電話ってその市の中だけでしか使えないというのが一般的だった。一般的だったかどうか知らないが、携帯電話がそんなに安い時代ではないので、1ヶ月程度使って捨てるようなものだと、そういう安価なものを選ばざるを得ないという感じだった。

九江はバスで2,3時間のところにあるので、携帯電話は通じないのだ。何かあると詰む。インターネットすらないし、ビザの手続きもあったので、もしビザが延長出来ないと不法滞在となってしまうのだ。

だが、それらは杞憂で無事バスを下りた時に目的の人と会うことが出来た。

主目的が仕事だったのであまり観光はしていないのだが、山の方に行けばかなりきれいな場所も多いみたいだ。

当時撮った写真があった。あんまり海外旅行したことがなかったので、割と見かける色々なものに興味が湧いたのを覚えてる。

南昌市街地

オフィスがあったところは市街地からバスで40分くらいのところだった。何度か週末に社員に誘われて市街地へ行ったのだ。市街地にはビルがあった。

食べ物にはかなり苦労していたが、ピザハット?(忘れてしまったが見たことあるピザのチェーン店)を見つけて食べた。当時中国のボクサーがピザを食べてダイエットしたとかいうネットニュースを見たことがあったけれど、その意味が分かった。なんて優しい食べ物だろうと思った😦

あと「日本料理」屋さんがあり入ってみた。神戸牛とかいう300円くらいのステーキや、ヅケかな?って思うくらい真っ黒に冷凍焼けしたマグロなど、日本ではなかなかお目にかかれない料理を堪能する事ができた。

市街地にはそこまで興味をそそるものはなかった。そもそもの個人的な好みとして、都市部にあまり魅力を感じないのだ。自然豊かな場所はもちろん好きだけど、汚かったりカオスだったり何か振れ幅が大きなものがあるほうが好きなのだ。

川下り

ある週末、社員がみんなで川下りをするから一緒に行かない?って誘われてついていった。非常に中国を堪能できる良いアクティビティだった。

バスを乗り継ぎ山の麓につくと、50ccくらいのバイクに乗ったおっちゃん達がたくさんいる。お金を払って山の上まで乗せてってもらうのだ。中国人に混じった外国人なのでぼったくられることは無かったが、どうやら50ccのバイクに3,4人乗るらしい。

これ上まで登れるのか?と思ったら案の定途中でエンストした。しかもひどくて客にバイクを押させてる。おっちゃん達もひどいが、客も客である。中国ではサービスに対してこのくらいの期待感しか持っていないし、提供する側もこれくらいで充分という感じなのだ。そんな感じなので、仕事の上ではこれじゃあ納品出来ないよ、って何度言っても理解してくれなかったのも当然といえば当然だったのだ😓

山頂に着くと、ゴムボートみたいのが渡される。あとほとんど意味なさそうなライフジャケットを渡される。下に着いたらテキトウに置いといてくれればOKということだ。スタッフは去っていった。

川下りと言っても、天然の川を下るような優雅なものではなく、元々川だったところに雑な工事でコースらしきものを作ってくだるというものだ。当然、安全面の配慮などは一切感じられない。

さらに、極端に浅くなってボートが底を擦り、ボートを持って運ばなければならない場所も多々ある。歩いてたら急に深くなって水没みたいな箇所もある。コンクリートをテキトウに固めただけなので、エッジが鋭くて基本的に危ない🤕

そんな雑な場所を1時間くらい?かけて下ったのであった。こういう形でのスリルの演出というのも悪くないなと思った。

一番下についたら、橋がロープ3本だった。ロープ3本とは、足場、右手用、左手用の3本のロープが渡してあるだけのものだ。落ちても下は川だから大丈夫だったかもしれないが、ひどく怖かった。

その後は、誰かの親戚の家に言ってご飯を食べたりした。知らない人も結構いてあんまり覚えてはいない。

その後は巨大観覧車に乗ったが、これもとても怖かった。ビルが倒壊するようなニュースとかよく見てたから、これも倒れるのでは…という恐怖感が大きかった。田舎すぎて観覧車から見える景色は特筆すべきものは無かった。

こういうローカルな人しか行かないような場所に行くのは楽しい🙃

まとめ

日本オフィスに返ってきて体験を話したところ、全員が「中国出張行けって言われたら会社やめるわ」って言ってた🤮

現在と比較すると、この10年の変化の大きさにびっくりする。当時、もう少し広い視野と世界への興味があったなら、とどうしても思ってしまう。

これは最近知ったことだが、中国って海外旅行に行く時の制限が住所によって決まる。例えば深センとか上海などの都心部に住んでいる人は、一人でも海外旅行に行くことが許されている。しかし、田舎に住んでいる人は単独での海外旅行が許されておらず、ツアーとして行くことが義務付けられている。理由はよく分からないが、充分なお金を持たずに行って現地で詰んだり帰ってこない人が増えないように、ということだろうか?

ここで言いたいのは、マナーが悪いツアーが多いが、あの人達は必ずしも望んでツアーに参加しているわけではなくて、仕方なくツアーに参加している人も割といるということだ。少人数だとみんな静かなんだけど、大人数だと…ってことになりがちなだけで。

オフィスで働いていた人たちに聞くと、半数の人が人生で海を見たことが無いと言っていた。国土の広さによるところも多少あるかもしれないが、当時は衝撃を受けた。恐らく「都市」もイメージすることが出来ない、見たことがないから。インターネットで国外サイトもあまりつながらないし、ただただよく分からないという感じなのだろう。

僕の印象では、上海と景徳鎮は50年くらい、上海と南昌は20年くらい、時代が違うような印象だった。日本では、生活スタイルの違いこそあれ、田舎に行っても「時代が違う」などと感じる人は皆無ではないだろうか。僕が見た中国ではそうだった。

フリーランスになってもなぜか頻繁に中国を訪れているが、時間の流れ方が本当に速いなと思う。とはいえ、このような状況になり当分は行く機会はなさそうだ。深センは行くかもしれないが👀

前編は以下です。

2007年に中国行ってたときの記憶 (景徳鎮編)
2007年頃、景徳鎮という中国の片田舎に会社を作って少しの間滞在していた時の話です。

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