言語学に関するレポ

脳科学レポ

遺伝子的に似ている人間と猿だが、言語すなわち法則にのっとり文を生み出すという能力の有無という大きな違いを持っている。たしかに、類人猿のボノボは記号を用いて意思を伝えることが出来る。しかし、意思の伝達はあったにせよ、そこに文章があるわけではない。主語や述語や目的語が順番に沿って並んでいて初めて文章と言えるからだ。人間には、生まれつき文章には骨格が必要ということを知っていて、周りで話されている言葉を聴いてその骨格を学ぶ。猿にそれがないのは不思議なことではなく、種を超えて同じコミュニケーションをとる動物はいないから当然であるといえる。例えば、ミツバチの8の字ダンスが他の動物には分からないのと同じである。

しかし、人間と同じように順序をに沿って音を発するカナリヤのような鳥もいる。鳴禽類はいくつもの泣き声のパターンを習得し、さらにオリジナルのメロディーも生み出す。これは、人間が言語を習得し自分で話すのと同じことに思える。泣き声を発する多くの動物と鳴禽類が根本的に違うところは、前者は脳にあらかじめ入っている泣き声を発するだけで習得したわけではないが、後者は習得して発生しているということだ。

また、これらの鳥は、人間でいうなまりのようなようなものをもっていて、ある音声がインプットされても使わなかったら忘れたりとか、2つの言葉を使っていると双方が整理されてなまらず正確な発音が身に付くとか、そういうメカニズムも、脳の働きを見ることで分かるようになってきた。また、9割は他の鳥の鳴き真似で1割がオリジナルの歌声らしいが、その1割の鳴き声は即興で作られていて、人間の文章を生み出す能力とそっくりである。なお、1割のオリジナルの鳴き真似はメスへの求愛だそうだ。人間も普通の言葉を9割と、異性を落とすためのオリジナルの言葉が1割なのかもしれない。もっとも、鳥には進んで会話をしたり愛の言葉をかけたりするわけではないらしいが。そこが、人間と鳴禽類を分けるところなのだろう。

脳のどの部分が働いているかは、fMRI(機能的磁気共鳴画像)を使って知ることが出来る。言語に関する課題を与えて、その人間の脳の動きや発達を見るという実験などでそれが分かる。fMRIを使うと、まるで脳を切ったかのように脳の中を見ることが出来る。血液の酸素飽和度と緩和時間の関係を利用したBOLD法というのがよく使われるらしい。BOLD法は、脳の活動部位の血流の増加と酸素消費量の割合の差を利用して、そこにあるヘモグロビンの影響による磁化率の変化を読み取り、その統計を分析することで部位を特定するというものだ。

脳のどの部分が働いているかを調べることで、記憶生涯を助ける人工海馬が開発されたり、性的興奮がどのように起きているのかを知ることが出来たりするらしく、脳とコンピュータがリンクすることも出来るようになるとのことだ。

参考URI : Wired News – 「歌う鳥」の脳、人間の言語能力を解明する手がかりに – : Hotwired

 世界に6500もある言語。しかし、言語を話すのは人間だけだ。言語は最も難しい脳の働きの一部である。知覚、記憶、意識といった認知は言語によってコントロールされるので、言語は最上位の働きであるといえる。人間の行動から言語を切り離すのは難しいといえるだろう。しかし、本当に言語が人間だけの能力と言えるのだろうか?実際、類人猿のボノボは記号を用いて意思を伝えることが出来る。類人猿のこうした方法と、人間の言語の差は何なのであろうか?

 ボノボは手話を使って意思を表現する。しかし、意思の伝達はあったにせよ、そこに文章があるわけではない。主語や述語や目的語が順番に沿って並んでいて初めて文章と言える。つまり、文法がないと文章とは言えないのだ。文法があれば文と文をつないで、いくらでも創造的に長い文を作ることが出来、この法則性こそが言語というものといえる。では、この法則性とは何なのか?この法則性は人間にもとから備わっている能力という説もある。

 では、なぜ遺伝子的に人間に近い猿は言語を持っていないのか?

 それは、遺伝的な進化の系列とコミュニケーションの方法は全く別物だからである。例えば、ミツバチはう8の字ダンスによって仲間に蜜の在り処を教える。しかし、他の動物にとっては8の字ダンスは全く意味をもたない。このように、種を超えて同じコミュニケーションをとるということはないのだ。つまり、言語は人間に特有なコミュニケーションの手段と言えるのだ。

 言語学は、歴史的な文化のつながりを究明するために発達して、以前は文系の人間が研究する学問との認識が強かったが、最近は脳と言語の関係などを調べたり、理系の人間も研究に携わるようになった。時代が移り変わるにつれて様々な言語が生み出されてきたが、何故このような多様性が生み出されたのかは歴史的に説明することは出来ない。しかし、発音や文字を抜きにすると、文法的に似ている言語と、似ていない言語がある。それは、人間の言葉が持っている文法は必然的なものだからだ。言語学者でもあり政治学者でもあるノーム・チョムスキーは、言語学を科学的に捉えて、言語を抽象化することで根本にある法則を見出した。言語を抽象的に見たときに分かる文の骨組みが言語の本質であり、その差が言語同士の本質的な違いなのだ。そして、チョムスキーは「言語の普遍性は人間がもともと持っている」と言っている。

 プラトンの謎というのがある。赤ちゃんは何も学ばなくても周りで話されている言葉を聞き、1歳で単語を覚え始め、3歳で文法を覚え始める。主語や述語が何であるかを知らなくても、主語や述語を正しい順序を使うことが出来る。なぜ教えなくても言葉を操れるようになるのか、というのがプラトンの謎といわれている。
 
 これは、人間はもとから文章は骨格を作らなくてはいけないということを知っていて、主語や述語が流動的に使われていても知能がそれを受け取ってどういう骨格を作れば良いことを学び取る。これは、脳に言語獲得装置が備わっているからで、脳科学では脳がどのように言語に関わっていくかを調べる。

 
めんどくて続き書く気が失せてしまたorz

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